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2009年07月04日

布施城現地説明会

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http://mainichi.jp/area/nara/news/20090702ddlk29040708000c.html


時期を外してスミマセン。
3日までの申込だったのですが、毎日新聞紙上で布施城の現地説明会が行われる旨報道されていました


ただ、行われるのは明日なので、個人的に出かけて行っても、歩いておられるところに出会えるかもしれません。


という私は、行こうと思えばいけたのに、腰痛悪化で不参加です。
どなたか参加された方、レポートお願いしますm__m

posted by taigon at 20:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国大和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月09日

歴史は書きかえられる。

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こんなに変わった歴史教科書

こんなに変わった歴史教科書

  • 作者: 山本 博文
  • 出版社/メーカー: 東京書籍
  • 発売日: 2008/12/06
  • メディア: 単行本






今、図書館から借りて、「こんなに変わった歴史教科書」というのを読んでいます。

確かに変わっているなあと、感心します。

いちばん驚いたのが、「慶安のお触書」は幕府がだしたものではなかった、っていうのですが、ほかにも興味深いものが沢山あり、
歴史の先生たちは、毎年勉強を重ねていかないとついていけないなと、思います。

一つ言えることは、歴史の教科書という権威のあるものでさえ、過去の事例では「一般的にそういわれている」というだけの、詳しい実証が行われていないものでも載っていたという事実です。
それらが数多くあったので、今より実証的に細かいところまで作業が進み、「常識」は「事実ではない」という結果を生み出しているのでしょう。

しかし、よく読めばわかりますが「事実ではないかもしれない」というニュアンスのものが圧倒的に多い。
つまり、過去の教科書では、「事実と思い込んでいた」けれど、新しいところでは「そうじゃない可能性もある」となっている。
この本を読む場合、ここに注意して読まないと、あれはウソだったの?というだけで終わってしまいます。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。という場合もあるし、少なくとも、そうではなかったけれど未だ事実は見えない、というのもあります。


さて、そんな中で一つ気になる文章があったので、紹介して感想を述べたいと思います。

それは「長篠の戦」について。
鉄砲三段撃ちは不可能。武田に騎馬隊はいなかった。という紹介です。

あげればきりがないのですが、ニュアンスで気になるのが色々な実証を重ねた結果「以上のように、「鉄砲三段撃ち」「武田騎馬隊」いずれも非効率で非現実的であり史実とはとても考えられないのである」とまとめられているのですが、これはあくまでもそう考えられるということで、実際にはあったかもしれないという研究者もいるかもしれないのを付け加えてほしかったですね。

それはさておき、その鉄砲三段撃ちの非効率の実証に挙げられている一つに、鉄砲隊は寄せ集めであったという紹介があります。
その事例は、細川藤孝・筒井順慶など武将が戦線に来ていない諸将から借り出されたものも含まれていて、臨時の寄せ集めであるから精鋭部隊と言えないので、三段撃ちなどという高度な射撃はできなかった。という解説です。

ところがどっこいです。

筒井の鉄砲は、現在全く無名でありますが、最近の大和の研究家たちの間では鉄砲に精通していたかも、という認識が広がっています。
当時の政治経済の先進地であった畿内では、新しい武器が入ってくるのも早く、鉄砲を使っての戦も早かったようです。
筒井城の発掘調査でも、比較的早い時期の鉄砲玉が見つかっています。
つまり、細川や筒井の武将は鉄砲戦を経験しているということです。
だからこそ、長篠の戦で鉄砲を大いに利用としていた信長に駆り出された。と言ってもいいのではないでしょうか。

だから三段撃ちはあった、とは私は言いません。信長公記に載っていないので、長篠の戦で特別な戦があったようには見えません。

長篠の戦は、前にもいいましたが、家康の戦いで、信長は救援に出向いた援軍です。
信長はその前の三方が原で救援に失敗していたので、今度は必ず勝つ決意でしたでしょう。
そして、大勝利した。ということでいいんではないでしょうか。

posted by taigon at 13:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 信長関係書籍紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月30日

信長私考

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前回から大変長い期間更新しないでスミマセン。

久々に投稿です。


前回お約束していた、天地人の信長の思想、哲学について少しだけ感想を。


先ほど、NHKの天地人のページを見ていたら、いろいろとその辺りの解説もありました。


新時代を切り開くために、世界の大変動に対応するために、信長は大急ぎで日本を統一しようとしていた。
ということを、吉川晃司が言ってます。


時代の流れを見ることが出来る現代人にとって、吉川信長的発想はたやすい事かもしれません。

しかし、当時信長がそこまで見えていたかは、疑問です。見えてなかったと思います。


また、前回紹介した台詞の一つ、「我が民」という、感覚も信長は持ちえたか。


信長は、武将たちに対しては、「我が家臣」という発想は持っていたでしょうが、日本人全体を「我が民」などとは微塵にも感じていなかったのではないでしょうか。

でなければ、あれほどの虐殺は出来ないと思うのですが。


今のところの、私の感じる信長像は、ひとえに「軍事至上主義」に見えます。


今でこそ、エコだの言いますが、つい最近までの日本人が、社会のためや平和のためなどではなく、自分のために金儲けを必死でしていたように。

信長は、民のためになど政策を考えていたとは思えません。
むしろ、軍事力推進のための政策ばかりだったと思います。
しかしそれは戦国時代なら当たり前のことなので、批判することもないのです。



それよりも、むしろ私が信長に心惹かれるのは、
それらを他よりもどんどん推し進める事が出来る「能力」や「バランス感覚」と、安土城などに代表される、新しく奇抜で美しい美術芸術をどんどん取り入れる感覚などです。


戦国時代以外に彼が生まれていて、その能力を最大限に発揮できたなら。
きっと何かやってくれたに違いないと思うのです。
posted by taigon at 19:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 天地人と信長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月05日

信長の思想 天地人より

今週の天地人。

信長が安土城の屋根にのぼってた。。。
(笑ったのは私だけでしょうか?)


ところで、信長はとても大事なセリフを言いました。


信長さまは何のために戦うのか?と問われ。


今この俺が動かねば、この国の未来があやういからよ
我らが古いメンツにとらわれ動けぬうちにこの国のすべてをもっていかれるやもしれぬ。。。
我が民を守るため、この日の本をひとつにまとめることなど、ほんの足がかりに過ぎぬ


だそうです。

これが天地人の信長の思想のようです。戦いの哲学。

皆さまはどう思われるでしょうか?

我が民っていうのがひっかかるし、それを守るっていうのもひっかかる。


私の感想はまた次回!
posted by taigon at 20:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 天地人と信長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月31日

吉川晃司とワイン

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直江兼続の活躍がやっと出始めたNHK大河ドラマ天地人。
むしろ、なんてでしゃばりなんだと、この若造めと言われるような雰囲気を作りつつある前回。

次回が楽しみですね〜

さて、信長は相変わらず、魔王っぽく扱われています。
安土城天主が完成してる感じでその中で、ワインを片手にうろうろ歩きまわって、話をする信長。

でも、この構図は少しおかしいかも。
信長が安土の天主に引っ越すのは、天正7年と言われています。
天地人のストーリーでは、この回は天正6年にあたります。
まだ、本丸の方に住んでるのではないでしょうか。

でもって、信長は、大坂やら播磨やらの情勢に忙しい時期です。
のんびり安土城天主でワインを飲みながら、真田の娘と上杉の話などしている状況だったとはいいにくいですね。。。


それはさておき、
絵的には、私はああいう感じの信長はありだなと、感心してみています。
西洋風燭台に沢山の蝋燭を立て並べたり。
ワインを飲んだり。

ただ、キリスト像が気になりますが。。。


posted by taigon at 06:30| Comment(0) | TrackBack(1) | 天地人と信長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする