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2005年10月20日

信長の上洛と大和

かんたん編を続けます

大和の武将達は前回書いたとおり、興福寺の有力な被官となることで実力を持ちました。
つまり、どれほどのし上がっても、結局は興福寺の配下には変わりありません。
そのような持ちつ持たれつの関係を維持しながら大和と言う国が成り立っていたのです。

何度か他国の勢力に支配され、興福寺の力が弱まったり、武将達が離散したりもしましたが、その時は、大和国人が私闘をやめて一致団結し、外圧に当たりました。
その指揮をしたのも、興福寺や春日大社だったのだと思われます。

そんな特殊な状態は、信長が上洛してきた時にも続いていました。
しかし、少しだけ様相が違いました。松永久秀と言う切れ者が長期に渉り支配体制を固めていっていました。

信長が足利義昭(室町幕府十五代将軍)を擁して上洛してきた時は、松永久秀が大和の国人達と争いながらも、信貴山城、多聞山城の二つの城を拠点に支配体制を築いていました。
そんな中、信長が入京してきたのを機に、久秀はすばやく信長に近づき、大和の支配を任されます。そして信長の兵を借りて、大和を制圧し、次第に支配体制を固めていきました。

このころの信長は久秀を頼りに、大和を統治しようとしていたようです。
しばらくは、今までどおり松永久秀が奈良のお寺と何かと交渉を続けていますし、

しかし、時は下り、元亀年中、信長に危機がおとずれるとご存知のとおり武田信玄らに近づき久秀は信長を裏切ります。
しかし、筒井順慶はじめ、大和の国人衆は「辰市の戦い」と呼ばれる戦で松永方を散々に打ち破り、その首級を信長に送り、恭順の意を示します。信長もそれを認めたと思われます。
さらに、結局松永方の反乱も失敗に終わりと、久秀は多聞山城を信長に明け渡し、信貴山城にうつります。
ここに、大和の支配から松永久秀の影響力が徐々に失われていくことになりました。
posted by taigon at 21:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 解説!(かんたん編) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月16日

大和の武将達

かんたん編です。

今回は、大和の住人のお話です。
ここまでかんたん編で見てきたように、大和は興福寺というお寺が一番力を持っていました。
また、大和を地盤に活躍した武将として、筒井順慶と松永久秀の二人を紹介しました。

ところで、松永久秀は、もともと大和の住人ではありません。大和の国人からしたら、よそ者です。今日の話題は松永久秀が大和に侵攻してくる以前の話です。
それにしても、大和の中世の話は特にややこしくて、細かく書くと多分わけがわからなくなりますので、ポイントだけ。




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posted by taigon at 19:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 解説!(かんたん編) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月12日

論文:織田政権と大和 注釈(1−45)

本文の「はじめに」「第一章」が終わったので、ここで注釈を載せておきます。
本文中のかっこでくくられた数字に該当します。


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posted by taigon at 12:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 注釈一覧 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

論文:織田政権と大和 第一章 まとめ

織田政権と大和 「第一章のまとめ」 を掲載します。

織田信長が大和で天正八年に行った政策について、どういう意義があるのかをまとめてあります。

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posted by taigon at 12:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 論文!織田政権と大和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月03日

戦国時代の大和

久々にかんたん編を行きます。

歴史ファンの方でも、「戦国時代と大和」というとピンと来ない方も多いのではないかと思います。
奈良県といえば、歴史の宝庫として、京都と並び歴史ファンの集まるところではありますが、それは主に古代。弥生や古墳時代〜奈良時代のファンがあつまります。いわゆる考古学ファン。

でも、戦国時代の大和も、意外と歴史ファンをひきつける話題もあります。

戦国の梟雄(きょうゆう)として有名な松永弾正久秀。彼の晩年の地盤が大和でした。
本文中にもでてきますが、永禄年間から大和に侵攻し始め、始めに「信貴山城」を築きます。
続いて、南都の北からの入口を押さえるように「多聞山城」を築き、奈良を押さえます。

信貴山城と多聞山城、この城は二つともとても有名ですね。
信貴山城は松永久秀最後の地として、彼が名茶器「平蜘の釜」とともに、爆死したと伝えられていますし、多聞山城は後の「多聞櫓」の元になったといわれる、高櫓(つまり天守閣)が日本で初めて作られたとも言われています。

この二つの城は、いずれも信長に攻められて壊されるのですが、どちらの城も信長の安土築城に影響を与えたと言われています。


さて、もう一人忘れていけないのが、筒井順慶
「元の木阿弥」や、「洞が峠を決め込む」などのことわざの元になった人物です。
(また、本文中の一方の主人公でもあります^^)

戦国大和の歴史とはこの、松永久秀 VS 筒井順慶(を代表とした大和国人) という構図でした。
この争いの最中には東大寺が戦火によって焼け落ちてしまいます(他に、将軍殺しなどをしたとして、乱世の梟雄と呼ばれています)。


大和の覇権争いを続けていたこの二人に、突如としてわりいってきたのが織田信長でした。
信長は始め松永に兵を与えるなどして、大和の統治に乗り出すのですが、後年、久秀が叛旗を翻すと、すばやく筒井方が信長に近づき、大和の統治を任せるようになるのでした。


このあたりは、また後日詳しく書きます。
posted by taigon at 13:05| Comment(0) | TrackBack(1) | 解説!(かんたん編) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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