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2008年01月23日

歩いてみよう

私はときどき、生駒山の麓から山之辺方面まで歩きます。

郡山城を通過したり、龍田方面を通ったり。
来月は、奈良町を通ります。

朝9時頃出発し、途中休憩や食事を取りながらのんびり歩いても、夕方には到着します。

郡山周辺はちょうど北和の中間点で、大和を縦に横に斜めに歩いても、通ります。

ただし、生駒から矢田丘陵を越えないで、南下する場合と、南都からまっすぐ南へ上街道を南下し、山之辺の道、伊勢街道などへ抜けると、通りません。


通過という視点から、拠点という視点に目を移してみますと、
郡山から、現在の私たちのような運動不足の脚力で歩いてみても、
南都、生駒、龍田から信貴山、国中、山之辺方面など、ほぼ2時間から3時間で到達できます。

郡山の天守跡に上れば分かりますが、大仏殿から若草山、竜王山、矢田、生駒、信貴山。などなど。とても低い丘にも関わらず、大和国中を広く見渡せます。
残念ながら、南部は見えませんが。

街道としての機能では、堺と奈良を意識して考えれば、これほど最適な場所は無いでしょう。

堺へまた、堺から南都へ、どのような物資や人間が、どの程度動いたか。手に取るように分かるはずです。



さて、何が言いたいのかといいますと、
情報というものを重要視した信長の戦略では、東西南北の情報をいち早くキャッチできる場所が郡山であった。といえるのではないでしょうか。

但し、伊勢から竹之内街道をとおり、河内方面へ抜ける道筋には、対応はしきれてはいなかったでしょう。

さて、皆さんも、一度歩いてみてください。
まさに遠足気分で、一日あれば、北和は歩けますよ。
posted by taigon at 21:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 新着情報&雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月16日

カエサルと信長と星野仙一

新年の記事からもう二週間以上過ぎてしまいました(汗)

前回紹介した蓮成院の記録が、行方不明になってしまっていて、見つかり次第ご紹介します。



今日は、雑談です。
さて、何ゆえ突然、カエサル?ということですが
実は、お正月特番で、塩野七生のローマ学をやっていて、それを見た私は塩野ローマに興味をもち、今ぼちぼちと読書中なわけです。

とりあえず目を通したのが『痛快!ローマ学』です。

歴史学としての西洋史の教養は私にはありません。
もともとは、日本史より西洋史が好きで、10代のころは『ガリア戦記』などを読んだりしてましたし、映画『スパルタカス』『十戒』なども好きでした。が、学問としては全く知らない。

塩野ローマは、(まだ大作『ローマ人の物語』は読んでませんが)学問としては「?」の部分も多いですが、一つの説として、教養でなくエンターテイメント的にテレビを見ている感じで読むと、面白かった。

そして、似ているなと思ったのが一時、流行った「織田信長的リーダー大望」論です。

よく新聞でも賑わしていました。
「織田信長に日本を変えてもらう!」「いや、そんなことでは日本が滅びる!」
と、大真面目に論争されていました(笑)
それに似ている。

今の日本。いつもリーダーが求められている。

話は横にそれますが、私は阪神タイガースのファンです。
もう、何をいいたいかお分かりかと思いますが、タイガースは「星野仙一」監督の登場で、劇的に変わりました。
一人のリーダによって、組織が大きく変わることもあります。

塩野七生の論では
「改革とは再構築である」と語っています。

私の考えでは、星野監督は野村監督の改革を継承していたと思います。
過去の流れを決して無駄にはしていない。野村は偉大であったと思います。偉大だけれど、タイガースの伝統に負けた。星野は負けなかった。
(なんのはなしだ笑)

野村がスッラでカエサルが星野でアウグストゥスが岡田(なわけないか笑)。


さて、日本の歴史を振り返ってみてどうでしょうか?歴史の変換機は現在でもテレビドラマになったりして、人気があります。沢山のリーダーが登場しています。

塩野ローマ論ではローマ的改革とは「再構築」という。
私が興味引かれたのはここです。「織田政権と大和」も言いたいのはそこ。

既得権益と真っ向勝負。しかし、伝統も残すべきは残す。
信長は、叡山と本願寺は焼いたが、興福寺は滅ぼさなかった。
御所も伊勢神宮も滅ぼさなかった。使えるものは使い、排除すべきはする。簡単で一番難しい。

そして、途中で暗殺された。。。

別にカエサルと信長が似てて、すばらしいから、現代にも必要だ。
とは、全く思わない。
カエサルと信長が似ているとも思わない。

ただし、歴史上、比較的成功した改革は、時代の必要に迫られており、大きな痛みを伴いつつ、リーダーは途中で倒れやすいものだなと思ったりもしました。


狭い視野より、大きい視野を持ちたいものだと思い始めた最近。
中世史だけでなく、日本史だけでなく、西洋史も、東洋史も、社会学も、考古学もいろいろやってみるかな。
posted by taigon at 11:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 新着情報&雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月01日

お正月らしく、正月史料から

皆様
明けましておめでとうございます。

今年も、週一回は更新していけますように(祈)がんばります。


さて、正月にちなんで、正月らしい、しかし、重要なお話をチラッとしておきます。

「蓮成院記録」という史料があります。
その中の、天正10年1月6日条には

信長が「大和は神国にて」という言葉を言ってたと書いています。

ある人物が、大和をくれといったら、ダメだと言う理由です。

あの、信長が、言う言葉でしょうか?


ということで、後日詳しく紹介いたします〜


本年もよろしくお願いいたします!
posted by taigon at 19:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 課題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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