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2008年09月29日

『信長とは何か』 雑感2

前回に引き続き『信長とは何か』の感想を続けたいと思います。

織田信長は、どこまでも軍事的勝利が至上命題だった。

全章を通じて展開されるこの話題。
それは確かにその通りだと思いました。

信長が行った事は、全てにおいて勝ち続けるための政策、と読んでしまってもいいくらいです。


本能寺で斃れた後の、あっけない信長家臣団の崩壊を見ても、
組織立てた、織田政権というものが存在していたとは言いがたい。
と結論付けられているのをみても、ああ、確かに、と感じる。



自身がこのブログで書きながら、織田政権という政権は、いったいどういう構造をしていたのだろうか、といつも思うわけですが。

ものの本にも、様々な評価がなされていて、直ちには理解が進まない。


一つ閃いたことは、
織田政権という、統一された組織だった政権は、なかった?
あやふやなのが、織田信長の組織だ。

で、いいんじゃないかということでした。


つづきは、次回。







posted by taigon at 13:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 課題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月23日

小島道裕著『信長とは何か』

『信長とは何か』

なかなかショッキングな題名の著書ですね。

すべて読み終えてみれば、題名の意味がよく分かります。
たぶん、すべて書き終えて、題をつけたんじゃないかなって、思えます。


さて、読後感は・・・

私のブログや「織田政権と大和」に少しでも興味のおありの方は、必ず読んでもらいたい著書です。



全12章だてで、丁寧な作業と、分かりやすい文章、構成もシンプルで、既に信長関係の書物や、小説を読まれたことがある方なら、十分に参考書の一つとして役に立つと思います。

11章まではとてもすんなり読めて、とてもさわやかな空気が常に流れているのですが(他の信長関係の著書によく見かける、他の研究者への攻撃的な表現がとても少ない)、最後の12章に及んでは、持論が少し展開されます。

例によって、本能寺の変なのですが、直接本能寺の変に対しての、見解ではなく、信長本人に対しての、痛烈とも取れる表現です。

今までいろいろな信長研究をされている方(ゴシップではなく、れっきとした研究者)の中で、信長本人をこうも鋭く批判した人はあまりいないんじゃないだろうかと思える、最後の一章でした。

途中何度か出てくる、近代日本と信長の関係についても、ああなるほど、こういうことが言いたかったのかと、謎が解ける、一章です。そいう言う意味では、構成そしては、映画や小説のような、最後まで一気に読んで、さらに最後にこんな展開を用意していましたか、という感想にもつながります。

さて、もっとも私個人的にうれしかったのは、この「織田政権と大和」の結論である、城下町は既存の経済拠点や、商圏を覆すものである。という点について、全く同様のことが書いてあったことです。
城下町研究に通じておられる著者が、十分な説得力を持って解説して頂けると、非常に、一学生が書いただけの卒論とは違うな〜という感じです。

ともあれ、私の「織田政権と大和」をもう一度お読みになって、この『信長とは何か』を読んでもらえれば、なるほどと理解が深まることは間違いありません。


ところで、著者が一貫して力説している、強大な専制君主織田信長ですが、大和と信長を調べている私にとって、やはり信長が大和支配をなぜ、筒井順慶に任せることにしたのか、がクローズアップされてしまいます。

これについては、織田政権と大和にはかかれていないのですが、このブログでのずっとある課題ですので、ブログを読んでくださっている方には、『信長とは何か』を読み進むにつれて、この課題に対する疑問も大きくなると思います。


その他、私が掲げている多くの課題を、この著書一つでずいぶん、理解が深まるものですので、開口一番、言いました通り、ぜひご一読ください。


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posted by taigon at 16:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 信長関係書籍紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月17日

神田千里 石山合戦と信長

『歴史読本』8月号の記事に、表題の記事があります。

信長と本願寺の戦について、通説に疑問を投げかけて、新しい説を出しています。

今や定説となっている、信長が大坂の地を欲したのがそもそもの原因だというところを覆されています。

大坂を欲していなかったのに、なぜ10年もかかったのか、という理由にも答えを出しています。

それは、三好とのつながり、足利義昭とのつながりということです。

信長から仕掛けたのでもなければ、信長が求めて争ったのではなく、本願寺のほうから、常に仕掛けていった。それは、三好や義昭による、信長包囲の一助だった。

ということのようです。


逆に、信長が本願寺に対してどう思っていたのか。
一向門徒が、攻めてこなければ、存続を許す気はあったのか?
協力者となれば、許したのだろうか?


これらの問いと、答えは、対大和の研究の上にも欠かせない課題であると考えます。


例えば、信長がすべての寺社勢力にたいして、比叡山に行ったような焼き打ちをしていれば、本願寺も必ず滅亡させられたと考えられます。

しかし、大和の寺社のように、安堵された勢力もあります。
さらに、新しく大和を支配する城を、奈良の中にではなく、郡山の地に求めています。

世間でよく言われる、信長が死ななくても立派な大坂城を建てそこに移ったはず。というのは、成り立ちますでしょうか?
しかし、本願寺が退去した事実があるので、その地は誰にとっても魅力的なものであったはず。大坂城はできたでしょう。

しかし、本願寺が仮に、信長の協力者だったらと考えると、
いろいろと他の可能性もあったんじゃないだろうかと、思えてきます。


まあ、歴史に「もし」を持ち出して、想像するのはよろしくありませんので、
本願寺と信長は戦ったことは事実。

その理由やなぜ、あれほどの期間を要したのかを、もっと研究していく必要は、まだまだあるように思いました。
posted by taigon at 19:16| Comment(2) | TrackBack(1) | 課題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月08日

歴史読本08年05月号

歴史読本の今年の5月号には、織田豊臣の城を歩くということで、
織豊期のいわゆる、「織豊系」と呼ばれる城郭の解説が細かくされています。

私のブログに興味のおありの方々は、必見でしょう。

また、私の主題である、「大和一国破城令」の解説も少しだけありました。

その中では、破城がどこまで行われたかということで
「作事」つまり、建物のそれも軍事的なものを取り壊しただけで、生活の空間や、堀石垣などは埋めたり崩したりしてないだろう、といった話でした。

最近の記事にしては、特に真新しいこともなく、少し退屈なものでしたが、入門にはいいかもしれません。

まだ、少ししか読んでいないので、また何か報告することがあれば掲載したいと思います。
posted by taigon at 20:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 課題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月02日

織田信長研究最前線

http://www.jinbutsu.co.jp/rekidoku/0808.htm

『歴史読本』8月号には、信長記の研究情報を始め、織田信長研究が各種用意されています。

ご一読ください。

私は、本願寺関係の記事が二つありましたが、両方とも興味深く読ませてもらいました。

もうひとつ、本能寺の変前夜の茶会はなかったという記事も私は始めて接しましたので、とても印象深かったです。


また、本能寺の変は、四国成敗がほぼ定説になりつつあるんだなと感じました。


posted by taigon at 20:11| Comment(4) | TrackBack(0) | 信長関係書籍紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
最近の記事
『信長記』と信長・秀吉の時代 [単行本] / 金子拓 (編集); 勉誠出版 (刊) 織田信長という歴史―『信長記』の彼方へ [単行本] / 金子拓 (著); 勉誠出版 (刊) 天下人の城―信長から秀吉・家康へ [単行本] / 千田 嘉博 (著); 風媒社 (刊)
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