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2009年02月27日

速報 筒井城現地説明会 案内

http://mainichi.jp/area/nara/news/20090226ddlk29040585000c.html

大和国、筒井城の大型堀跡が発掘されました。
2月28日現地説明会です。

詳しくは、上記URLから、毎日新聞の記事です。

私は行けたら行く予定です。

また、帰って来てから詳しく書きたいと思います。

まずは、速報まで。
ラベル:筒井城
posted by taigon at 21:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国大和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月22日

天地人より 信長は神仏を恐れない?

今日の天地人は、いよいよ手取川の戦いでした。
信長公記にこの戦いはないけれど、史料的判断は別にしたとしても、このドラマでの謙信の闘神的な書き方は相変わらずですね。


ドラマが始まる前に「第六天魔王」信長が紹介されていました。
神仏を恐れない信長。比叡山を焼き打ち。越前一向一揆征伐…

ところで以前に書いた記事「大和は神国にて」
http://taigon-net-rekisi.seesaa.net/article/87733373.html


信長がやったことを考えれば、間違いなく中世的神仏守護者ではなかったでしょう。

ただ、大和で行った政治を詳しく調べると、寺社仏閣の弾圧が非常に少ない。やたらと取り立てもするけれど、安堵もする。

少しずつ力を奪ってはいくけれど、祈ることをやめさせていていない。


祈りを妨げる、後のキリシタン弾圧のようなことをしてこそ、神仏を恐れない行為かもしれないけれど、信長はそのようなことはしない。

戦略としての、敵であり、思想的な敵ではなかったのか?

中世の悪党の方こそ、全く神仏を恐れていない。
http://taigon-net-rekisi.seesaa.net/article/111314285.html
以前紹介したこの本の始めに出てくる悪党たちの行為は全く神仏を恐れません。

是非にこの本を一読してから、もう一度信長の行為も見直してみましょう。
posted by taigon at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 天地人と信長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月17日

大和郡山城下町を歩く

最近私事多忙につき、新しい話題があまりないので、思い出話など。

近鉄郡山駅を最寄り駅として利用する住民なら、必ず目にする大和郡山城と、その城下町。

奈良は空襲で焼けていないので、古くて細い路地が多いですが、城下町郡山はとくに狭い。
車で走ろうものなら、一方通行の通りに進むだけになってしまいます。


郡山城周辺の散策には、歩いて5分圏内にJRも私鉄(近鉄)あるので、遠方から来られるなら、電車を使うのが一番です。


でも、どうしても車で現地へ行きたいという方。
近鉄郡山駅前には、有料の立体駐車場があります。また、こおりやま城ホールという大きな施設にも有料の駐車場があります。
しかし、意外と知られていない、しかも、もっともお城に近い無料駐車場が存在します。それが、柳沢文庫駐車場。

郡山城追手門前にあるのです。

追手門から東隅櫓へはしる石垣前にあります。
およそ、10台ぐらいしか止められませんが、まず満車ということはありません。

ここに車を止めてよく、城を散歩しました。

天守台まですぐに歩けます。
夕暮れ時、天守台に登ると、北に夕焼けにはえる薬師寺五重塔、東には、東大寺の屋根と、美しい若草山が見えます。

そのまま、柳沢神社を過ぎて、県立郡山高校の前を西へ歩き、突き当りを南にあるくと、鰻堀、鷺池の間を抜けて近鉄郡山駅の西側の通りにでます。
通りを、東向いて歩くと、近鉄の踏切を過ぎ、まっすぐに歩くと、そのままJR郡山駅までいけますが、そこまで行かずに、途中北へ入る道がいくつかあります。

最近整備された外堀公園や、江戸期の古い町並み後など。

うろうろしていると、道の真ん中を水路が走る珍しい風景にあいます。これが紺屋町(こうやまち)の名残で、紺染めを晒した水路跡です。

http://www.hakomoto.com/

この辺りで、また西へ進むと、近鉄駅前にでますが、そのまま北へ進みまたうろうろ道に迷っていると、豊臣秀長の菩提寺があったりします。

郡山市役所や消防署が見えたら、「本家菊屋」の看板を捜して見ましょう。御城之口(しろのくち)という高価なお餅が有名な秀吉にも関係があるというお店です。400年の歴史があります

http://www.kikuya.co.jp/


郡山城ホールの大きな屋根が見えたら、そろそろ西へ向きを変えて見ましょう。

路地から少し広い車道に出れば、郡山城の石垣がずらっと見えます。

そこまでくれば、元の駐車場まではすぐ近くです。


一度是非歩いてみてくださいませ。
posted by taigon at 15:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国大和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月10日

『信長と十字架』 立花京子著

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立花京子氏の『信長と十字架―「天下布武」の真実を追う』

ついに、読んでしまいました、禁断の立花京子さんの著書。

と、大げさに書きましたが、別に禁断でもなんでもありませんが、一言でいえば、「こういう目の付けどころもあり」ですかね。

世の研究者からすれば、批判もたくさんあるでしょうし、言いたいことも分かります。

ただ、やろうとしている根本はいいなあ、と思いました。
なぜなら私がいつもやろうとしていることをやってくれている。と感じたからです。


簡潔にこの著書を紹介すれば、
既存の信長研究にとらわれず、信長関係の史資料を片っ端から整理して、「天下布武」の定義付け、海外勢力(バテレン)と信長やキリシタン大名との関係、などを新説で紹介する。
その結末は、信長はキリスト教徒たちの依頼で天下統一を志し、そして、キリスト教徒たちの手によって本能寺に消えた。

というものでした。

私の場合、以前に紹介した、『真説安土城』で、その内容の一部を使ってキリシタンと信長の関係について、寄稿されていたので、結末を最初からわかって読んでいったわけですが、もしそれを知らずにこの『信長と十字架』が立花京子氏の著書初体験の場合、少々ショッキングかつ、呆れた内容と感じたかもしれません。

この本の前半の、天下布武の定義付けについては、とてもわかりやすく楽しめましたし、新しい一つの知識として有意義でした。

天下とは朝廷のための天下であり、天下布武とは武力によって起こりうる乱を未然に防ぎ、天下を静謐せしめること、であるという。


また、信長に通じる人脈も面白かったです。
時代小説家戸部新十郎の影響で、私は細川藤孝(幽斎)が好きなのですが、この『信長と十字架』ではこの細川藤孝が大活躍します。


さて、私がやろうとしていたことと共通するそれは何かというと、

人はある起点をもって、考えや思想が変わりうる。ということです。
この著書で著者がはじめに最も力を入れたのが「信長が天下布武を思いついた時期」についてです。

歴史に興味を持ち、歴史を学び始めてから陥りやすい穴は、
「何かをなした人物は、最初から何かを成すべく志をもって活動していた」と勘違いすることです。

織田信長をはじめ、豊臣秀吉、徳川家康、坂本竜馬、西郷隆盛、などな、時代を作ってきた人物たちが歴史の結果的に行った業績を、最初から志していたはずはない。

そして、その志は、どこかで誰かに出会った結果、知識や情報、思想志を得た。

幕末ファンは比較的その種の感覚は身に着けておられると思いますが、戦国ファンは、どちらかというと、そうではないかもしれません。


ということで、この『信長と十字架』は、歴史的英雄と英雄を動かした人脈という観点から詳細に史料から検討された珍しい一冊といえるかもしれません。




posted by taigon at 16:47| Comment(0) | TrackBack(1) | 信長関係書籍紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月01日

安土城をつくる感想2&天地人の長篠戦


『週刊安土城をつくる』の感想2回目。

しかし、タイムリーに天地人第5回の話題とかぶります。

今回の天地人の中に、鉄砲戦で名高い【長篠の戦い】がありましたね。

そう名乗る事はありませんでしたが、
映像的には、まさに、「鉄砲の三段撃ち」でした。

そもそも「鉄砲の三段撃ち」は不可能だったというのが最近の定説となってきていますが、今日の天地人でもそうだったように、まだまだ世間の常識は変わっていません。

一方の、『週刊安土城をつくる』の【覇王信長の世界】でも長篠の戦いを紹介していました。

こちらでも、鉄砲の三段撃ちが信長の革新的戦法だったと、評価しつつ、「最近の研究では不可能だといわれている」と、かなり評価の揺れを残しています。

私は個人的に、この評価の揺れを問題視して、マガジンはあくまでも
「工作するついでつけるマメ知識」くらいを目指しているんだろう。と理解しました。

マガジンを中心にして投資するにはチト金額がはるので、工作に自信がない私は断念せざるを得ないかなと判断したしだい。



ところで、この長篠の戦い。
今日の天地人でも、吉川晃司のアップがずっと映っていましたが、「信長vs武田」と思い込んでいる人が多いのではないでしょうか?
私もそう勘違いしていました。

ところが、この戦い自体は、武田と徳川の戦いです。
もとい、武田が徳川に仕掛けてきたといいますでしょうか。

この戦いについても少し調べてみたいと思っているので、また後日機会があれば細かい事書こうと思いますが、今日は、簡単にまとめておくと

つまり、武田側だった長篠城が、徳川に寝返ったので、それを武田が奪いに着た。
長篠から徳川家康に助けを求めに着たが、徳川だけでは太刀打ちできないので、信長に救援を頼んだ。
そうして、すぐさま救援に信長は駆けつけた。
ところが、決戦は長篠城ではなく、その西方の地、設楽が原で行われて、決着がついた。

となります。
つまり、きっかけとなった長篠の戦いは、完全に徳川と武田の戦いですが、決戦となった地が設楽が原で、織田軍が大いに活躍した。

というあたりでしょうか。

週刊安土城にもその辺りが載っていて、最近では「長篠・設楽が原の戦い」という、と解説されていました。

でも、徳川の歴史としては、長篠の戦いでもいいのでしょうが、
似たような戦いで、関が原の戦いがありますが、あれも、きっかけは大垣城ですから、大垣の戦い、とはいわないので、やはり設楽が原の戦いでもありですかね。


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posted by taigon at 22:38| Comment(0) | TrackBack(1) | 新着情報&雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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