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2009年06月09日

歴史は書きかえられる。

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こんなに変わった歴史教科書

こんなに変わった歴史教科書

  • 作者: 山本 博文
  • 出版社/メーカー: 東京書籍
  • 発売日: 2008/12/06
  • メディア: 単行本






今、図書館から借りて、「こんなに変わった歴史教科書」というのを読んでいます。

確かに変わっているなあと、感心します。

いちばん驚いたのが、「慶安のお触書」は幕府がだしたものではなかった、っていうのですが、ほかにも興味深いものが沢山あり、
歴史の先生たちは、毎年勉強を重ねていかないとついていけないなと、思います。

一つ言えることは、歴史の教科書という権威のあるものでさえ、過去の事例では「一般的にそういわれている」というだけの、詳しい実証が行われていないものでも載っていたという事実です。
それらが数多くあったので、今より実証的に細かいところまで作業が進み、「常識」は「事実ではない」という結果を生み出しているのでしょう。

しかし、よく読めばわかりますが「事実ではないかもしれない」というニュアンスのものが圧倒的に多い。
つまり、過去の教科書では、「事実と思い込んでいた」けれど、新しいところでは「そうじゃない可能性もある」となっている。
この本を読む場合、ここに注意して読まないと、あれはウソだったの?というだけで終わってしまいます。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。という場合もあるし、少なくとも、そうではなかったけれど未だ事実は見えない、というのもあります。


さて、そんな中で一つ気になる文章があったので、紹介して感想を述べたいと思います。

それは「長篠の戦」について。
鉄砲三段撃ちは不可能。武田に騎馬隊はいなかった。という紹介です。

あげればきりがないのですが、ニュアンスで気になるのが色々な実証を重ねた結果「以上のように、「鉄砲三段撃ち」「武田騎馬隊」いずれも非効率で非現実的であり史実とはとても考えられないのである」とまとめられているのですが、これはあくまでもそう考えられるということで、実際にはあったかもしれないという研究者もいるかもしれないのを付け加えてほしかったですね。

それはさておき、その鉄砲三段撃ちの非効率の実証に挙げられている一つに、鉄砲隊は寄せ集めであったという紹介があります。
その事例は、細川藤孝・筒井順慶など武将が戦線に来ていない諸将から借り出されたものも含まれていて、臨時の寄せ集めであるから精鋭部隊と言えないので、三段撃ちなどという高度な射撃はできなかった。という解説です。

ところがどっこいです。

筒井の鉄砲は、現在全く無名でありますが、最近の大和の研究家たちの間では鉄砲に精通していたかも、という認識が広がっています。
当時の政治経済の先進地であった畿内では、新しい武器が入ってくるのも早く、鉄砲を使っての戦も早かったようです。
筒井城の発掘調査でも、比較的早い時期の鉄砲玉が見つかっています。
つまり、細川や筒井の武将は鉄砲戦を経験しているということです。
だからこそ、長篠の戦で鉄砲を大いに利用としていた信長に駆り出された。と言ってもいいのではないでしょうか。

だから三段撃ちはあった、とは私は言いません。信長公記に載っていないので、長篠の戦で特別な戦があったようには見えません。

長篠の戦は、前にもいいましたが、家康の戦いで、信長は救援に出向いた援軍です。
信長はその前の三方が原で救援に失敗していたので、今度は必ず勝つ決意でしたでしょう。
そして、大勝利した。ということでいいんではないでしょうか。

posted by taigon at 13:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 信長関係書籍紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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