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2011年03月28日

『信長を考える』 ・・・?

『信長を考える』という、どこかで聞いたことあるような記事に出会いました。

↓これ

http://npn.co.jp/article/detail/15295181/ ← 連載1話目
http://npn.co.jp/article/detail/61832619/ ← 連載2話目

大河ドラマ「江〜姫たちの戦国」の中身をネタにして、織田信長の話題に触れています。

記事の1話目はドラマの感想ですが、2話目は秋山駿著『信長』についての解説となっています。
そこでは、かなり天才信長を強調して、普通人の部下たち、とくについていけなかった光秀による本能寺の変にも言及しています。

どこにでもあるような話ですね(エラソですみませんたらーっ(汗)

秋山駿版『信長』を読んでいませんので、どのようなのかわかりませんが、この解説だと私はあまり読まないかな。
歴史物は、いかようにも感想を書けるので、面白いしロマンもあります。
どんどん、新しい説も出てきますし、それ以上に、発見される事実があります。

それらのことを総合的に判断していく必要があるのは間違いありません。


ちょっとした例え話で、信長の普通じゃない発想を表現してみたいと思います。

ここ数十年、世界の中心は良くも悪くも、アメリカです。アメリカの大統領ですよね。
アメリカからの影響を受けやすい国、受けにくい国があるとはいえ。
世界が、狭くなってきた今、もろに影響を受ける世の中で、しかもそれが当たり前です。

その、現代でも、日本人でアメリカの大統領になったり、世界の中心に乗り込んでいって、世界の政治や軍隊、経済の流れを牛耳ってやろう、と思っている人はいるでしょうか?
やっと、最近、社内の公用語を英語にして、世界の企業になろうとしている経済人が出てきたところですよね。

一言でいえば、信長は今のアメリカに乗り込んでいって、大統領より上位権力にたつ。
とか、別にヨーロッパでもいいのですが。
日本を飛び出して、世界の情勢を見極めて、世界に号令する。

これが信長的発想なんじゃないかと思うんですよね。
(誤解ないように。本当に世界を目指していたという話ではなく、当時の日本が、現代人の世界の広さくらいの大きさを感じていた、という話。わかりにくいですか?)

当時の日本にとって、アジアがそれほど遠い存在ではなかったかもしれませんが、それでも世界は日本国内。
現代人が感じる世界の広さと、戦国時代の人々が感じる日本(とその周辺の土地)の感覚が同じくらいと思うのです。
京に乗り込んで、政治を牛耳るっていうのは、世界の政治の中心や経済の中心なんかに乗り込んでいく、という発想だったんではないでしょうか。


posted by taigon at 12:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 新着情報&雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月15日

筒井城第14次発掘調査報告

始めに、この度の東北関東で震災に合われた皆様、犠牲になられた皆様に、心からお見舞い申し上げます。
一人一人が、今自分で何ができるか考え、まずは日々の与えられた役目を一所懸命に努めたいと思います。


では、今回の記事です。

平成23年3月12日に、大和郡山市筒井町字シロ に於いて、大和郡山市教育委員会より、筒井城発掘調査の現地説明会がありました。

平成13年度より筒井城の正確な範囲や遺構の状態を知るために、継続的に実施されている調査で、今回で14次となりました。

14次調査は、2月3日から行われ、3月11日までに発掘された主な遺構、遺物について報告がありました。

まず頂いた資料から、主な内容を掲載します。


場所は、筒井城の中心地と推定されている、周囲より一段高くなった部分で、小字「シロ」と呼ばれているところでした。


検出されたのは、溝、井戸、掘立柱建物などでした。

注目されたのは、井戸と溝です。
井戸は、直径90センチの結桶(ゆいおけ)を重ねたものでした。
13世紀後半ごろのものと考えられており、この結桶を重ねた形状の井戸は、当時の大和地方においては、相当先進的なもので、しかも90センチものサイズになるものは、この地方ではめずらしいものです。
井戸の中の遺物などから、14世紀前半には意図的に埋め立てられています。

溝は、幅2.2メートル、深さ0.6メートル。南北方向にのびています。13世紀末に埋められたようです。


さて、現地説明会での話を以下に。

13世紀後半に、大和でもよくある環濠集落のような形での、堀を形成した館のようなものが、この地に作られた。その際、このように先進的な結桶のある井戸も作られるような実力ある主が筒井に拠点を持ったと考えられる。

その後、13世紀末に、堀が埋め立てられ、14世紀前半までに、同じ場所は盛り土を行い、土地を計画的に整備している。

この発掘現場より南で行われた以前の調査で、幅8メートル級の堀や、堀底に畝を伴うような堀を作り出すのは、この盛り土などを行った頃だと推定される。

とすると、13世紀末から14世紀初頭には、相当な実力を伴う勢力がここ筒井に本拠を置いたと考えられる。

筒井氏は、文献上では、1386年に筒井順覚が官符衆人として登場するが、それ以前にも、14世紀の前半にも文献上に登場している(私は知らないのですが、山川先生がおっしゃっていました)
そのさらに古い時代の遺構ではあるが、時代的に、筒井氏が築いた城であるということは可能である。とのことでした。

このころに、このような計画的な整備をする必要があるのは何か?

13世紀末頃に大和で起きた事件は「永仁の南都闘乱」と呼ばれるもので、興福寺の一條院と大乗院が争い発端とする乱でした。

この闘乱は、鎌倉幕府の介入を招くという事態になります。
古くから、大和は興福寺が守護地頭の役割を担い、幕府の介入がほとんどない地でしたが、この闘乱をきっかけに、幕府の介入を招き、幕府御家人が大和に常駐するという事態になりました(私は詳細をよく知りませんが、説明ではそうでした)

これをきっかけに、興福寺の力が弱まり、大和武士が台頭してくる、重要な出来事です。


さて話を戻しますと、まさに、筒井城で古い堀(環濠?)や井戸が埋め立てられたのは、このころのことで、盛り土をされていることから、整地作業も行われ、周辺の巨大な堀や城としての整備をしたものこのころだろうと推測されるわけです。

先進的な遺構も過去の発掘から発見されていますし、今回のような古い中世遺構も発見されたことにより、様々なことに意味のある発見となりました。


元来、筒井氏がどこから来たのかも不明です。出自がはっきりしないのです。
また、戦国時代以前の城の発症なども、畿内ではあまり例がありません。

環濠から城へ。

政治的背景なども読み解きながら、文献と遺構と両方からの作業により、これら研究の重要課題がわかる貴重な発掘となりました。

ぜひ、今後の研究課題にいかしていただければと思います。


なお、残念ながら、織豊期の筒井城の遺構は、今回の発掘では見つけられませんでした。
楽しみにしていた方は、次回のさらに中心部を発掘されるところを待ちましょう。

以下、画像を紹介しておきます

遺構全体
DSC00125.jpg

結桶の井戸
DSC00123.jpg

盛り土などの地層面を説明する山川先生
DSC00119.jpg

出土した土師皿
DSC00126.jpg
posted by taigon at 16:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国大和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月10日

筒井城の築城年代が早まる?

毎年恒例、筒井城発掘ネタです。

今朝の奈良新聞や、ネット上のニュースですでにご存じの方もおられると思いますが、今回は大きな成果のようです。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/news/20110309-OYT8T01094.htm

記事によると、13世紀のものとみられる、井戸枠と盛り土の跡が見つかったとあります。

13世紀は、私の記憶では、文献上で筒井城や筒井氏が出てこないので、発掘の成果はかなり大です。
はたして、そのころから筒井氏がここを根拠に館を築いていたのかどうかは、定かではありませんが、なんらかの拠点施設であるのは間違いなさそうです。

詳細は、現地説明会を待ちたいと思います。

現地説明会は、12日午前10時から正午まで。
ちなみに昨年一昨年の現説を復習したい方は当ブログの過去ログをご参照ください。

第13次調査
http://taigon-net-rekisi.seesaa.net/article/143447360.html

第12次調査
http://taigon-net-rekisi.seesaa.net/article/115413859.html

また、筒井城など大和の城関連で詳しいのは以下
気分はコクジン
http://gfi402.web.fc2.com/narakokujin.htm
大和郡山市歴史辞典
http://www.city.yamatokoriyama.nara.jp/rekisi/rekisi_flameset.html

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2011年03月03日

47年前の姫路城

関西では、3月5日のNHK大阪放送局の番組で、47年前に放送された姫路城の特集番組をみることができます。

「かんさい想い出シアター」
http://www.nhk.or.jp/osaka/program/omoidetheater/

時間は、早朝5時15分から5時50分
1964年3月22日に放送された、日曜散歩「姫路城」という番組です。

城好きな方は必見ですね

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2011年03月01日

小牧山城発掘調査で築城当時の石垣出土

中日新聞より

こちら
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20110301/CK2011030102000096.html


記事によると、愛知県小牧市の小牧山城で、発掘調査の結果、信長が築城した当時の姿のままの石垣を発見したと、市教育委員会が発表しました。

詳細は、記事に譲るとして、
野面積みの石垣だったようですが、2メートル級の石を整然と積んでいたりして、なかなかのものです。
記事では、信長の業績をたたえていますが、永禄年間に築かれたほかの城郭も詳しく調べることによって、織田系の城と、他の戦国大名との違いも見えてくるとは思います。

安土より古い総石垣の城としては、安土の正面にある、観音寺城が有名です。

古い説には、信長は観音寺城の石垣を見て、安土の総石垣を思いついた、などという説もあるくらい。

小牧山城よりも、観音寺の方が古いのは古いですが。

はたして小牧山の石垣の構造は、後の織豊系城郭と共通しているのでしょうか?


というか、記事で千田嘉博先生がコメントしてるところを見ても、小牧山の石垣はなかなかのものなのかもしれませんね。


現地説明会が5日の午前10時と午後2時からだそうです。
詳細は、小牧市教育委員会文化振興課。http://www.city.komaki.aichi.jp/contents/11104430.html

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