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2005年10月03日

戦国時代の大和

久々にかんたん編を行きます。

歴史ファンの方でも、「戦国時代と大和」というとピンと来ない方も多いのではないかと思います。
奈良県といえば、歴史の宝庫として、京都と並び歴史ファンの集まるところではありますが、それは主に古代。弥生や古墳時代〜奈良時代のファンがあつまります。いわゆる考古学ファン。

でも、戦国時代の大和も、意外と歴史ファンをひきつける話題もあります。

戦国の梟雄(きょうゆう)として有名な松永弾正久秀。彼の晩年の地盤が大和でした。
本文中にもでてきますが、永禄年間から大和に侵攻し始め、始めに「信貴山城」を築きます。
続いて、南都の北からの入口を押さえるように「多聞山城」を築き、奈良を押さえます。

信貴山城と多聞山城、この城は二つともとても有名ですね。
信貴山城は松永久秀最後の地として、彼が名茶器「平蜘の釜」とともに、爆死したと伝えられていますし、多聞山城は後の「多聞櫓」の元になったといわれる、高櫓(つまり天守閣)が日本で初めて作られたとも言われています。

この二つの城は、いずれも信長に攻められて壊されるのですが、どちらの城も信長の安土築城に影響を与えたと言われています。


さて、もう一人忘れていけないのが、筒井順慶
「元の木阿弥」や、「洞が峠を決め込む」などのことわざの元になった人物です。
(また、本文中の一方の主人公でもあります^^)

戦国大和の歴史とはこの、松永久秀 VS 筒井順慶(を代表とした大和国人) という構図でした。
この争いの最中には東大寺が戦火によって焼け落ちてしまいます(他に、将軍殺しなどをしたとして、乱世の梟雄と呼ばれています)。


大和の覇権争いを続けていたこの二人に、突如としてわりいってきたのが織田信長でした。
信長は始め松永に兵を与えるなどして、大和の統治に乗り出すのですが、後年、久秀が叛旗を翻すと、すばやく筒井方が信長に近づき、大和の統治を任せるようになるのでした。


このあたりは、また後日詳しく書きます。
posted by taigon at 13:05| Comment(0) | TrackBack(1) | 解説!(かんたん編) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Weblog: 青春18切符で行く,日本の「城」巡り56
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